これから社会人になるにあたって書き記しておきたい事

いよいよ社会人としてデビューする日が刻々と近づいている。
今の心境は非常に不安定なものだ。期待と不安、似たような心境は現在社会人として働くすべての人が一度は通るものなのだろう。
今回のエントリーは、勝手ながらこれから数日後に社会人としての第一歩を踏み出す自分自身にむけて、その覚悟を忘れないために記しておきたい。

進学への迷い

二年前、私は大学院に進学する道を選んだ。しかしそれは予定通りとは程遠いもので、むしろやむを得ない決断だったと言っても良い。何せ進学を決めたのは1月も過ぎようとしている頃だ。
その頃私は順調に4年で大学を卒業し、これまた順調に新卒としてある大手情報処理教育関連の会社に内定を頂いていた。その会社はある程度自分のやりたいことを実現できたはずだし、おおむね自らの予定表どおり事は進んでいると思われた。しかし入社まであと2ヶ月とあったある日、突然その会社の財務状況が倒産寸前だったことを知ることになる。しかも会社からの通知ではなくTVのニュースでだ。まさに自分にとっては晴天の霹靂、想定外の事態に困惑を禁じえなかった。かろうじて会社自体は存続ということで、内定も取り消されることはなかったが、事件後の会社の不誠実な対応に今後の不安を感じ、その会社は辞退することとなった。
しかしながら辞退するにしても、その後の選択の道は当然ながら相当狭められていた。第一に2月から新卒採用を行っているところなどほんのわずかだし、ましてや自分のやりたい仕事を探すとなるとほぼ皆無である。第二にこれから院進学を目指すにしても、その時期に応募できるのはごくわずかだし、そもそもなんの対策もなしに他大学にすんなり合格するほど甘いものでもない。結果的に残された道といえばすでにコネクションのある同じ大学の院か、就職浪人のどちらかである。
自分自身の答えが出るのにそう長い時間はかからなかった。大学院進学である。
院進学の決断に、周り反応も様々だったが、両親はどちらかというと反対の意見だった。やはり一番のネックは金銭面である。急遽進学を決めたのが自らの意志である以上、私は進学することによって今後二年間で発生する学費、家賃、生活費などの支出の一切を自分自身で工面することを決めていた。進学の意志を両親に告げられたのは、計算で出た発生する費用の合計が奨学金によって賄える目処が立ったからである。しかし奨学金と言えどその中身は借金であることに変わりはない。卒業した時点で数百万単位の負債を抱えながら社会人としてスタートを切ることのリスクを、銀行員である父は身の周りの誰よりも案じていた。(実際今この時期になってその重圧をリアルに感じ取っている)これまで息子のやることに一切の口出しをせず好きにやらせてくれていた父が、初めて私の決断に反対した。(しかし最後には理解を示してくれた)

二年前の覚悟

私自身そういったリスクについては父ほどじゃないにせよ理解していたつもりだ。しかも私のような文系の修士卒というのは企業によっては不利な扱いになることも承知していたし、両親の言うように就職浪人をしたほうが雇用面でも金銭面でもリスクは少なく、利口な選択と言えたのかもしれない。
しかし、かねてから自分の中にあった「プロフェッショナルな仕事に就きたい」という思いが院進学を後押しした。誤解がないように付け加えておくが、私はそれぞれの仕事にプライドと流儀を持ち、それでいて結果も残せる働き人はどんな職種であろうとすべてプロだと思っている。ここで私が言う「プロフェッショナルな仕事に就きたい」という意味は、自分のこれまでの専門=強みを生かした、誰にも真似できないような独創的な仕事をしていきたいということである。そのためには多少リスクを背負ってでも専門性を磨ける大学院に進学する意味はあると考えた。
このような思案を経て、ある意味悲壮な賭けともいうべき覚悟で大学院に進学してからは、休むことなく走り続けるような毎日だった。学部時代の倍以上は確実に忙しかったと思う。講義、バイト、レポート、修論、就活をどれも手を抜くことなくこなしつつ、合間に学部時代の就活の失敗を教訓に経済の勉強も行った。株取引の実践は決して安くはない授業料を支払う羽目にはなったが、ビジネス番組やビジネスニュースを意識的に見る習慣が身についた。また大学では自分の専門、つまり社会情報学などのIT関連の教育環境は(教授、科目など)はお世辞にも充実しているとは言えなかったが、その分独自の研究に没頭することができた。
そうして走り続けてきた結果、幸運にも院で学んだ専門性をこれ以上なくダイレクトに発揮できるであろう職場にめぐり合うことができた。
よく就活では「ご縁」があったとかなかったとか言う言葉が使われるが、その「縁」とやらの存在をこのときになってようやく知ることとなった。

これからの覚悟

長々とここまで私事を書き連ねてしまったが(奇特にもここまで読んでいただいた方には恐縮である)とにもかくにも、このような経緯を経て私は「Webプロデューサーの卵」として社会への第一歩を踏み出そうとしている。それは二年前の覚悟と同様、いや、それ以上に大いなる覚悟を持っての一歩であると感じている。
すでにここに至るまで多くのものを犠牲、ないしは投資してきた。20代の二年間という貴重な時間もさることながら、現実的に金銭面での大きな負担を抱えた中での船出である。マラソンに例えるならスタートラインより2,3キロ後ろからさらに10分ほど遅れてスタートを切るといったところだろうか?
こんな状況で、トップ集団に追いつき追い越そうとするなら普通に走っていたのではまず話にならない。最初から全力疾走しつつ、さらに隠された抜け道を見つけるくらいの気合とアイディアを持って望まなければ勝負にはならない。
私の将来的な目標は、世界に通用するwebサービスを考案、構築することである。そのためにはこのマラソンのようなことを実際にやってのけるくらいの気概と覚悟を持って臨まなければならないだろう。
自信は・・・ある。これまで歩んできた道のりがその根拠となっている。