Winny開発者が有罪判決〜あいまいな判決理由

「徹底抗戦する」――Winny開発者、控訴へ
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/13/news061.html

本日、Winny開発者に罰金150万円の有罪の判決が言い渡された。この事件の顛末はずっと注目し続けてきたが、正直この判決には大きな疑問を感じる。
この事件の争点であり一番はっきりさせなければならない点はこのあたりだ。

  • 犯罪への可能性を開発者が認識することは法律上必要か?
  • 犯罪への可能性を認識していれば、実際にそれが起こったときに開発者がその責任を負うべきなのか?
  • 開発者が予期せぬところで犯罪に利用されるようになってしまった場合でも、その責任は問われるのか?
  • 開発者がその可能性を認識していたかを立証する証拠はどこで判断するのか?
  • 犯罪利用に可能性のある技術の作製は犯罪幇助の適用にあたるか?

今回の判決では今後のソフトウェア開発に大きな影響を及ぼすこれらの問題がおざなりにされたまま、有罪とする判決だけがWinny開発者である金子氏に突きつけられた格好だ。
言うまでもなくこの「Winny裁判」の結果はWinnyと呼ばれるソフトウェアと開発者だけの問題ではなく、今後ネット社会、情報社会で起こりうるであろう同様の問題を裁く上でも重要な判例となる。だからこそこれほどまでに世間から注目視されるのである。しかしながら今回の判決内容はその世間が期待していた明確な答えを提示するものではなかった。
この裁判の一番の問題点は、金子氏も主張するように裁判では「著作権法違反を助長していない」「Winnyは技術としては価値中立的」と認めているにも関わらず、「著作権侵害に利用されていることを知りながらバージョンアップを繰り返したことが、著作権侵害ほう助にあたる」として開発者を有罪であるとした点だ。
これをわかりやすい例に適用するとこうなる。

  1. 包丁職人は調理器具として包丁を販売した。
  2. 包丁職人はその道具で人も殺せる凶器にもなり得ることを十分認識していた。
  3. 実際販売を始めると、ちゃんと調理に使う人ももちろんいたが、犯罪者の多くは犯罪の道具に包丁を使うようになった。
  4. 包丁職人はその事実を知りながら、利便性を考え切れ味のさらに鋭い包丁を作り、販売し続けた。
  5. やがて包丁職人は逮捕され「人を殺せたり脅したりできることを知りながら、尚も改良を続けたことは殺人幇助及び脅迫幇助にあたる」として有罪となった。

もちろんこれは極端な例だ。実際にこんなことが起きることはないだろう。しかし「Winny裁判」でソフトウェア開発者の責任をこのようにあいまいにしたままの判例となれば、今後の日本のものづくりを担う技術者、開発者達が精神的に萎縮してしまうのは避けられない。特にフリーウェアを提供している個人のソフトウェア開発者などは刑事訴訟のリスクを背負うくらいなら作らない、あるいは提供しないほうがマシと考えても不思議ではない。またこのような流れが加速すれば優秀な開発者の海外流出の恐れも出てくる。今後金子氏は高裁、最高裁と争っていくつもりだろう。仮に有罪となったとしても、その理由は今回の判決のように自己矛盾を抱えたものではなく、日本のソフトウェア開発者たちが納得するようなものであってほしいと願う。
もっとも、現行では著作権法個人情報保護法をはじめ急速に進展する情報社会の中で法制度が追いついてないという問題も根本には広がっている。罰金150万円という微妙な量刑はそういった背景のなかでぎりぎりの判断だったのだろうという見方もある。Winny事件をきっかけとしてそういった法整備の動きが加速することがあるなら、金子氏自身もきっと本望であろう。

ところで「Web進化論」で有名な梅田望夫氏は以前、日経コンピュータのインタビューでこんなことを言っていた。

日本が技術的に劣っているとか,日本人に能力がないとか,そういうことはないでしょう。それよりも,日本の課題は新しいものに対する態度であると思っています。
例えば先般,米タイム誌が動画共有サイトのユーチューブ(YouTube)を「Invention of the Year(今年最高の発明)」に選んだ。こんなことは,日本ではあり得ないでしょう。

もし日本でYouTubeが生まれていたらどういう扱いをされていたんだろう?な〜んてこともついつい考えてしまう。